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日本と海外の交流は、各地で行われており、今では珍しいことではありません。串本も昔からトルコと、串本高校としてはヘメット高校と盛んに交流しています。アラフラ海は、日本各地とつながりがありましたが、今回はその中で、和歌山県に関係する資料を調べてみました。参考文献 小川 平 著 アラフラ海の真珠
アラフラ海はニューギニアとオーストラリアにある海域で、ヨーク岬半島の先端の木曜島(サースデーアイランド)に明治時代頃から、多くの日本人が移民していました。「なぜ、多くの日本人が木曜島に移民していたのか」それは、木曜島に真珠貝が棲息することが分かったからです。そのため、採貝業が盛んとなり、ダイバーとして多くの紀南地方(特に西牟婁郡、東牟婁郡)の人々が木曜島に渡りました。ダイバーという死亡する危険の高い仕事に多くの人が飛びついていったのは、やはり高い給金をもらえるいうのが魅力だったからです。
当時、ダイバーになれば小学校教員の約10倍。水夫でも約2〜3倍の給料がもらえたそうです。 しかし、木曜島で働く日本人が増えると白人の経営者が、日本人が経営を圧迫するのではないかと恐れ、排日運動が高まり、そしてついには、移民制限法によってオーストラリアから有色人種が閉め出されるという事態になりました。しかし、このことによって困ったのはむしろ白人経営者のほうでした。当時、日本人ダイバーが多く使われていたのは、その真面目さと優秀な技術からでした。その働き手を失うということは、会社の経営にも影響するため結局のところある程度の移民は認めるしかなかったのです。
そして増えたのが密航です。移民制限法が制定されても、多くの日本人渡航者が制限法を無視してオーストラリアに渡っていたのです。もちろん、密航は危険なことです。1カ月近い船旅の中、協力者以外の人間に見つからないように隠れ続けるのは当然のこと、体一つ入る程度の場所に居続けなければならないこともあったそうです。
また、島に入ってからも大変でした。密航はもちろんばれてはいけません。そのために障害になったのは、肌の色でした。島の在留者と比較すると、肌の色が目立ってしまいます。そのために、出迎えで慌ただしい中を病人と偽って上陸したり、島に入った翌日の早朝から一週間以上もの間、誰にも見つからないように遠くの砂浜まで行き、ただ一日中、肌を焼いて島の人と見比べてもおかしくないくらいになってようやく表に出られたそうです。
島にたどりついた人の多くが、ダイバーやクロー(水夫)、テンダー(命綱もち)などの採貝業の仕事に携わりました。もちろん、これらの仕事は危険と苦労がつきまといます。若い渡航者は、クローの仕事である「手回し送風機」とよばれるダイバーに空気を送ったり、真珠貝から真珠を取り出す作業を経験しないとダイバーやテンダーになれませんでした。
ダイバーの命綱や船長として船の全責任を背負ったテンダーはとても細かく気をつかう仕事だったそうです。体質的にダイバーにむかなっかた人達や、どうしてもダイバーの仕事が怖くて海に潜れない人達がテンダーになったそうです。そして、毎日ロープを握っているため、指が曲がったまま癖がついてしまってまっすぐ指を伸ばせない人もいたそうです。
ダイバーにとって一番怖いのが「潜水病」です。潜水病は、深海に降りたときの気圧の変化によって引き起こされますが、15m程度ならば、ほとんど潜水病に陥ることはないそうです。しかし、さらに深い海底での作業をしているダイバーは危険と隣り合わせです。海底で作業をしているダイバーは、血液中に酸素と同時に窒素ガスも取り込んでしまいます。15m程では異常を起こさないこの現象も、それ以上の深さになると水圧によって、急速に血液中から窒素ガスが出ようとするのです。しかし、この窒素ガスが全部出ないうちに引き上げられると、いきなり気圧の違う場所に置かれた窒素ガスが、血液中で小さな泡になり、この泡が血行を妨げ血行障害を引き起こし、ダイバーに麻痺、または死をもたらすのです。
ダイバーたちの間ではこの潜水病の症状を3つに分けており、ロマテキ(ロイマチス)、ハウカース、パレライスと呼ぶそうです。ロマテキは、手足の神経などが異状をきたし非常にその箇所が痛む症状で、ひどい人は大声を上げるほどの痛みだったそうです。それでも、このロマテキは軽症で、ハウカースはロマテキの次に重い症状でした。ハウカースの症状は、めまい・吐き気などの症状と手・足・腰の神経の異常によってぐにゃぐにゃになり、ひどいと足腰が立たなくなりました。ハウカースには進行するほど体中がかゆくなるという特有の症状もありました。そして、一番重く危険なのが45m以上の海底で起こるパレライスです。海中から、引き上げると死亡していたということもあったそうです。パレライスを引き起こすと船上で血を吐いて苦しみ、一番死亡する人が多いのがパレライスでした。壮絶なのは、対処法が発見される以前の処置です。パレライスを起こした人は、「腹から胸に血の玉が上がってくる」と当時、処置を目の当たりにした人は言っています。後の調べでこの玉は、空気の玉だったそうですが、この玉が心臓まで上がると死に至るので、この玉を取り除くため様々な処置を行いました。例えば、たった一個のこの玉を取り除くために、大の男2・3人がこの玉を押し戻すのです。この玉が、うまく下がってくれたときはいいのですが、ときには2・3人の玉を押し戻す力で、逆にパレライスに陥った人を押し殺してしまうこともあったり、テンダーが用意している鳥の羽根で、のど仏まで上がってきた玉を突き刺したりと、科学的な根拠のない力任せの方法で、決定的なものはありませんでした。この、パレライスのような症状の他にも、水圧によって目玉が飛び出すなど深海に潜るダイバーには様々な危険がありました。 しかし、力任せに対処するしかなかったこれらの症状に対しての決定的な治療法が見つかりました。ガントン療法です。
ガントン療法とは、潜水病を起こした深さまで降ろし、そこに吊り下げるという方法で、症状に適した時間吊り下げることによって、血液中にたまった窒素ガスを排出することで病状が回復するというものです。これは、イギリスの海軍軍医ムーメリの研究によってあみだされたものでした。
この方法を行えば一番重いパレライスでさえも治り、特にハウカースはガントンを行えばすぐに治ってしまいました。このガントンを木曜島に伝えたのは、直井菊松だといわれ、大正7年のことだったといいます。直井菊松はそれまで、各地の島々を転々としていたそうですが、久々に木曜島に帰ってきたと思ったら「ええことを習ってきた」と言い、ちょうど潜水病にかかって運ばれてきた人にガントンを試したそうです。すると、症状が回復したので皆驚き、直井さんはそれ以来ガントンの講師として潜水病を治療する術を教えてまわったそうです。こうして、潜水病に対する有効な手だてが見つかりましたが、ダイバーとして働くうえで潜水病の恐怖は常につきまといました。
このように、密航の苦労と潜水病の恐怖、その他にも人種の違いによる対立など木曜島を目指した人には様々な問題がありました。特に、潜水病はダイバーを悩ませてきた問題で、ガントン療法が見つかる以前は得体の知れない恐怖だったとおもいました。
今回は、アラフラ海のダイバー達について調べました。密航、潜水病の他に原住民族との話や獲物である貝が少なくなったことによる新しい漁場の開拓、戦争を前にした人々の話など、生活の面での移民してきた人の話などを紹介することができませんでした。ただ、明治・大正・昭和とかけて移民してきた人々の今まで知らなかった苦労などを知ることができました。でも、このことは和歌山県に限ったことではありません。資料には、近畿、中国、四国、九州、関東、沖縄地方とほぼ全国から移民してきていました。興味を持った人は自分の土地のことを調べてみてください。すると同じように、自分の土地と海外とのつながりが見つかっておもしろい発見があるかもしれません。